光学兵器からカメラへ Nikon(ニコン)
大正期の輸入頼りだった光学製品がない中で、日本のカメラ産業の礎を築き上げたNikon。ライフルの照準や望遠鏡などをはじめ、戦艦大和など数多くの機器を生産、しかし戦後は苦難の連続でした。今日の世界のニコンとなるまでの道のりを見ていきましょう。
敗戦の当初は失敗やトラブル続き
戦艦大和の測距儀をつくりだした企業は戦後、日本のカメラ産業の礎を築きました。
大正期、第一次世界大戦が始まると輸入頼りだった光学製品が入手できなくなってしまいます。光学機器国産化の急務を託された三菱合資会社社長岩崎小彌太は、1917(大正6)年、東京・小石川に日本光学工業株式会社を設立します。ドイツから技師を招くなど技術を高めていくなか、23(大正12)年に関東大震災で東京砲兵工廠が被災すると、軍の光学機器開発も担うようになっていきます。ライフルの照準や望遠鏡など数多くの機器を生産、やがては戦艦大和と武蔵に搭載の光学兵器、倒分像立体視式十五米二重測距儀の開発も担います。
敗戦とともに軍需産業としての発展の道が閉ざされた日本光学は、民生用カメラや双眼鏡の開発生産に活路を求めます。終戦時2万5000人を抱えていた巨大企業が、94%の従業員を解雇し約1500人となっての再出発でした。
47(昭和22)年には「ニコン」というブランド名を定め、さらに翌年には数台の試作機を完成させたものの、続々とトラブルが生じました。設計変更しては試作とテストということを繰り返し、ニコン民生用初のカメラの誕生は大変な難産でした。
翌48(昭和23)年、ニコン初の量産カメラNikon Iが発売されます。しかし発売後も様々な問題が噴出、改良改善は続きます。最大の問題は、ライカ判が一画面8個のパーフォーレーションで画面サイズ24×36mmだったのに対し、Nikon Iは7個で24×32mmの40枚撮り(ニコン判、ニホン判と呼ばれる)だったことでした。そのため進駐軍が使用するスライド自動裁断機で扱えず、クレームとなります。
翌年(翌々年ともいわれる)発売されたNikon Mは、通常のパーフォーレーション8個で幅34mmまで拡大され、フィルムのコマ間の問題に関しては解決します。しかし、設計上の問題から36mmにはできず、50(昭和25)年発売のNikon Sでも改善に至らず、54年(55年とも)発売のNikon S2でようやく36mmとなりました。
わずか2年で、世界のニコンへ
1950年発売
50年、来日していたライフ誌の写真家デビッド・ダグラス・ダンカンは、ニッコールの85mm F2のレンズで撮られた自分のポートレートを見て、そのシャープさに驚愕します。翌日、投影検査でライツやツァイスのレンズとの比較結果を見て、自身のライカのためにニッコールレンズを即購入。直後に始まった朝鮮戦争に携えていきます。そして、前線から送られる写真を見たジャーナリストたちの間で、ニッコールレンズとニコンのカメラが支持されていきます。
1957年発売
57年には、スペシャルなプロフェッショナルバージョン、Nikon SPを発売。28mmおよび35mm用と、50mm以上用の2つのファインダーを備えることで、すべての焦点距離をカバーするユニバーサルファインダーが搭載されました。当時、世界のカメラ業界はライカを目標かつライバルとしていましたが、このSPは名機ライカM3を超えたともいわれました。
1959年発売
国産レンジファインダー最高峰を送り出したニコンでしたが、時代の流れを読み、一眼レフカメラの時代も先導していきます。
59年、NikonFが発売されます。SPを基にして、ペンタプリズムとミラーボックスを搭載、ファインダー視野率100%、シャッター幕は世界初のチタン材を使用しています。シャッタースピードも絞りも露出計と結びつく完全連動方式の実現も世界初でした。
望遠レンズの重量にも耐えうるステンレス製バヨネットによるレンズマウントが開発され、このニコンFマウントは現在に至るまで継承されています。
日本カメラ業界の牽引役
デジタルカメラ時代も、ニコンは業界を牽引していきます。
1995年には富士フイルムと共同開発で、ニコン初のデジタル一眼レフ、Nikon E2を発売(富士からはフジックスDS-505として発売)。99年にはプロ向けのレンズ交換式AF、Nikon D1で業界を驚愕させました。新開発の超大型CCDによる高画質高機能にもかかわらず価格は65万円。ライバル機キヤノンD2000の198万円の3分の1という画期的価格でデジタル一眼レフの普及に道筋をつけました。
まずはプロ向け高級機を打ち出し、その後に量産効果によって価格帯を下げた普及機を発売していくというニコンのスタイルに沿って、さらにカメラファンの耳目を集めていきます。2013年発売のNikon D610、18年発売のNikon D3500などは、コストパフォーマンスがよい機種として親しまれています。
なにかとキヤノンとライバルとして見られるニコンですが、両者のカラーの違いもはっきりしています。
見た目の美しさを追うキヤノンに対して、被写体に忠実で自然な色合いを信条とするニコンは、色に深みがありコントラストもよく暗い部分の表現が評価されています。とくに星空や夜景撮影で魅力を発揮。プロアマ問わず、風景写真を撮る人に広く支持されています。
また、ハイエンドモデルのラインナップが比較的充実していることもあり、キヤノンに比べマニアックなメーカーとの印象も。軍需メーカーだった前身以来の質実剛健で堅牢といった伝統も受け継いでいます。
デジタル一眼レフ市場では時に首位となることもあるニコンですが、昨今のカメラ市場全体でみるとライバルのキヤノンに比べシェアはぐっと低くなっています。しかしながら見てきたように、日本のカメラの発展はニコンに負ってきたところが多く、またキヤノンとのライバル関係が、両者だけでなく日本のカメラ産業ひいては世界のカメラ産業を発展させてきたといえるでしょう。ニコンはニコンファンだけのためでなく、これからもキヤノンにひけをとることなく健全なライバル関係でいてほしいと願います。