名門ツァイス・イコンを継ぐもの
CONTAX(コンタックス)
ドイツが生んだ世界一の光学機器メーカー、カール・ツァイスの名機を現代に継いだのがCONTAXでした。歴史の中での様々な逆境をバネに休眠から返り咲きした足跡を辿ります。
ライカと人気を二分するブランドへ
世界一の光学機器メーカーだった、カール・ツァイス。その名機を現代に継いだのがCONTAXでした。
カール・ツァイス財団のほかドイツのカメラ会社数社が、35mmカメラの元祖ライカに対抗するために結束し、1926年にツァイス・イコン社が設立されます。カメラ設計者ハインツ・キュッペンベンダーの指揮のもと、ライカに拮抗せんと開発されたのがコンタックスです。32年に初めてのコンタックスカメラ、コンタックスIが発売され、やがてコンタックスはライカと人気を二分するブランドとなりました。
第二次世界大戦のドイツ敗戦によりツァイス・イコンは東西に分裂、西側のツァイス・イコンはコンタックスの開発を続けモデルを重ねますが、最終型となったコンタックスIIIaの製造を61年にやめます。フラッグシップを一眼レフのコンタレックスシリーズに引き継ぎ、コンタックスは休眠ブランドとなります。
ツァイス・イコンを始めとしたドイツカメラメーカーは、戦前の威信を取り戻し再び世界のカメラ産業の雄として返り咲き、その地位は安泰かと思われました。しかし、日本製カメラが進出しはじめると、初めは物真似としか見られていなかったものの、やがて世界市場を席巻していきます。
71年、ツァイス・イコンはカメラ生産からの撤退を決定します。レンズを供給していたカール・ツァイスは新たな供給先を探し、まずは旭光学工業(のちのペンタックス)に打診します。しかし旭光学は自社製品との競合を懸念して、この申し出を断ります。名門カール・ツァイスとの提携を実現したのは、技術力で定評のあったヤシカでした。75年、CONTAX RTSが発売され、コンタックスは復活しました。
ツァイス・イコンのコンタックスはContaxと表記されるのに対し、ヤシカ以後のコンタックスはCONTAXと表記されます。また、ヤシカ製を指して、ヤシコン、Y/Cなどとも略称されています。
流転の名ブランドCONTAX
1975年発売
当時としては徹底した電子化が特徴です。エレクトロシリーズなどで培ったヤシカのお家芸が活かされています。軽く触れるだけできれるフェザータッチのシャッターボタンなど、電子カメラならではの操作感と、シャッターダイヤルを左肩に置くなどの独自の操作系を打ち出しました。ポルシェデザインの洗練されたフォルムでも注目を浴びました。
1979年発売
世界で初めて一眼レフカメラにクオーツ制御AEを搭載しました。また、小型化で取り回しがよくなっています。
1982年発売
より信頼性の高まったフラッグシップ機。新生CONTAXの地位を安定させます。
もちろんCONTAXもツァイス・イコン時代同様、豊富で高品質なツァイスレンズに支えられ、その点も幅広い評価を得ます。
このようにコンタックス復活を支えたヤシカですが、経営面では新事業の頓挫や横領事件やオイルショックまでが重なり75年には経営破綻。メインバンクなどの支援でContaxの製造も続けたものの、83年には京セラに吸収合併されます。
1984年発売
京セラから、単焦点レンジファインダーコンパクト機CONTAX Tが発売されます。Sonnar 38mmF2.8を搭載し、京セラ、ツァイス、ポルシェデザインの共同開発による逸品です。
1990年発売
オートフォーカス機で、高級コンパクトカメラという新分野が築かれます。T2はいまでも愛好家に支持される、高級コンパクトの代表機となりました。94年には、この高級コンパクトにレンズ交換式のContax Gが加わります。
1999年発売
CONTAX唯一の中判一眼レフ。中判カメラの女王ともいえる名機で、いまも中古市場で人気です。シャッター速度1/4000秒、Xシンクロ接点1/125秒と、いずれも中判カメラ最速です。
京セラ時代のコンタックスは、京セラ・コンタックスとも通称されています。
CONTAXの復活を夢見て
このように135mmでもコンパクトでも、また中判でも成功を収め、好調に見えたCONTAXですが、一眼レフのAF化では他社に遅れをとっていました。京セラ自体が1993年発売の300Aなど少数の機種だけでAF機から撤退しており、素地に乏しかったといえます。
96年にはオートフォーカス一眼レフCONTAX AXを発売しますが、レンズ系の駆動ではなくフィルム面を前後させフォーカシングするという珍しい機構でした。MFレンズでオートフォーカス可能という利点もあり、超音波モーターによる駆動も静かなものの、ボディは巨大なものとなってしまい、レンズのフローティングに対応できないという致命的な欠点がありました。
2000年に発売されたCONTAX N1は、デジタル一眼レフ展開を視野に京セラが賭けに出たNシリーズの始まりでした。同年には普及機CONTAX NX、02年にはCONTAX N DIGITALを発売したものの、本格的にAFに乗り出すのが遅すぎたこと、マウントが変わったことで過去のツァイスレンズという資産が活用できないことが災いし、商業的には振るわず、05年には京セラ自体がCONTAXを含むカメラ事業から撤退。コンタックスは休眠ブランドとなってしまいます。
名門ツァイス・イコンの衣鉢を受けながら、ヤシカ、京セラがそれを現在に継ぐことは適いませんでした。