HASSELBLAD(ハッセルブラッド)
月へ行ったカメラ

厳しい時代の中でも、軍の要請に応えたカメラを生み出したハッセルブラッド。その後、平和が訪れNASAの目に止まるまでに至ります。宇宙への旅に伴われて、今もなお月面の残されている大任を果たしたカメラたちの知られざるエピソードをここに記します。

全世界を代表する栄誉に至ったハッセルブラッド

1969年7月20日、ハッセルブラッドのカメラHASSELBLAD EDCは月に降り立ちました。初めて月に足を踏み下ろした人類とともに、月の光景を目にしたのです。
全世界を代表する栄誉に至ったハッセルブラッド。その源流は1841年にスウェーデンのヨーテボリに設立された商社F.W. Hasselblad&Coでした。創設者の息子はアマチュア写真家で、コダックを生んだジョージ・イーストマンと親交を結び、コダックの輸入総代理店となります。1908年には写真部門がHasselblad’s Fotografiska ABとして独立します。
創設者の曾孫に生まれたヴィクター・ハッセルブラッドもまたネイチャーフォトを趣味としていました。彼はドイツのドレスデンを始めにフランス、アメリカで修業を重ねたのち、コダックでイーストマンの弟子となりました。そして37年にスウェーデンに戻った彼は、ハッセルブラッド家から独立したフォトショップVictor Fotoを設立します。
第二次大戦に突入するとドイツからの輸入が途絶え、軍用カメラに困ったスウェーデン軍は、墜落したドイツ空軍機から回収したカメラを元にヴィクターに開発を依頼します。彼は41年にHK-7を完成させます。その後、ヴィクターは43年にF.W. Hasselblad&Coを買収し、Hasselblad Fotografiska AB社を手中に収めます。
その始まりから軍の厳しい要請に答えたカメラを送り出したハッセルブラッドは、宇宙飛行士らNASAの人々をも満足させます。62年にウォーリー・シラーが私物の500Cをマーキュリー宇宙船に持ち込んだのが始まりでした。以来、ハッセルブラッドのカメラたちは宇宙への旅に伴われていきます。
初の月面着陸を果たしたアポロ11号計画のときも500ELをベースに開発されたHASSELBLAD EDCが月へと旅立ちました。帰りの荷を軽くするために、撮影されたフィルムだけが宇宙飛行士とともに地球に戻り、大任を果たしたハッセルブラッドのカメラたちは月面に残されています。

写真の楽しさ、ブローニー判の美しさを伝え続ける

軍用機のためにヴィクター・ハッセルブラッドが初めてつくりだしたHK-7は、7×9判レンズシャッターカメラでした。
HASSELBLAD 1600F
1949年発売

民生用初のカメラで、6×6判フォーカルプレーンシャッター内蔵の一眼レフであり、以来、ハッセルブラッドは中判カメラの伝道者の任を果たしていきます。

HASSELBLAD 500EL
1965年発売

前章で紹介した通り、初の月面着陸を果たした記念的モデルです。

HASSELBLAD 500C/M
1970年発売

500Cのマイナーチェンジモデルで、自動巻き上げモーター内蔵ボディ、MはModifiedを表しています。フルマニュアルの人気機種でレンズシャッター内臓レンズ専用です。中古市場にも多く見られ、ハッセルブラッド入門にもよい機種です。

HASSELBLAD SWC/M
1979年発売

HASSELBLAD SWC/Mは79年発売、カール・ツァイスの対称型超広角レンズ、ピオゴンが固定されています。超広角ながら収差の小さい画を撮ることができます。

スウェーデン軍やNASAが認めた精緻堅固さもさることながら、ハッセルブラッドカメラの魅力はそのメカニカルな面白さからくる、独特の操作性にもあります。扱いを誤らないようにしなければならないところや、たとえば6×6判フィルム1本で12枚しか撮影できないといったところは、一見欠点のように聞こえますが実は正反対です。じっくり構えて被写体に向かい合うことを要求するハッセルブラッドの写真は、見慣れた風景を優れた写真芸術として切り取ってくれます。

カール・ツァイスのレンズなどとの組み合わせで生まれる、空気感、描写力の素晴らしさ。解像度の高さとボケ味の妙。プリントはもちろん、ブローニー判はネガも美しいうえ、ウエストレベルファインダーの独特のスタイルで上から覗き込むファインダーの画像までも雰囲気のある味わいを持っています。そこに既にハッセルブラッドの切り取る世界の入り口が見えているのです。

広がっていくHASSELBLADファン

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現在も互換性高・修理可能

1949年にデビューしたハッセルブラッドのカメラですが、機種間の互換性も高く、また、現在も多くのラボで修理可能であり、これからも中判カメラの良さを伝え続けることと思われます。
2016年には、デジタル中判カメラ初のミラーレス機、HASSELBLAD X1D-50cが発売され、デジタル中判カメラの未来を提示しました。19年に発売されるデジタルバック、HASSELBLAD CFV II 50CはVシステムのほとんどのカメラを、レトロカメラからデジタルカメラへと変身させることができ、また同時発売のHASSELBLAD 907Xはハッセルブラッド中判カメラ最小のボディで、コンパクトなその姿は中判カメラのこれからの可能性の広がりを体現しています。

北欧デザインのおしゃれさ

こういった最新デジタル機種には手が出しづらくとも、アナログ時代の中古ハッセルブラッドにはお手頃なものも多く、却って中判カメラの原点の面白さは、カメラを始めたばかりの女性や若い人にもじわじわと広がっています。中古市場での動きも活発になっているようです。
同じモデル、たとえば前章で紹介したHASSELBLAD 500C/Mでいえば、のちにブラックボディモデルが追加されたり、巻き上げクランクが装備されたりと、中古ハッセルブラッドにはモノとしての購買欲を高める側面も大きいように思います。
また、スウェーデン製、北欧デザインのおしゃれさも、そういった購買層の興味をひき、また、6×6判の正方形の画像は、インスタグラム世代に親しみを持たれる要因ともなっています。

修業からヨーロッパに戻った若きヴィクターは、めずらしい鳥を追って撮影の旅へ、「渡り鳥の道」と呼ばれる写真本を出版しました。それは鳥たちの飛翔する姿も収めた、当時としては希少な本でした。名門カメラ会社の中興の祖である以前に、ヴィクター・ハッセルブラッドは写真を愛する写真人だったのです。そんなヴィクターの写真愛が、時代を超えていまの世代にも伝わり広がっているようです。

買取実績

500C/M

6×6の写真が撮れる 中判カメラの代表格 発売年月 1970年(昭和45年) 主な仕様 フルマニ

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