イメージングの予見者、富士フイルム
世界初のメモリーカードを使用するデジタルカメラ開発や、従来のジャンルが異なるチェキやインスタントカメラなどのポップなイメージを打ち出すなど、品質面だけでなく営業展開にも長ける富士フイルム。デジタル化の需要が増した今、次はどんなカメラ革新に出会えるのかが楽しみなファンは多いでしょう。そんな魅力的な予見には、彼らの多くの経験と飽くなき挑戦に満ちた人生の中から生まれてきています。ここではそのエピソードを振り返ります。
先見の目でデジタル化を世に映し出す
1934(昭和9)年、大日本セルロイド株式会社(のちのダイセル)の写真フィルム部事業を分割し、富士写真フイルム株式会社が生まれます。
第一次世界大戦後の19(大正8)年に大日本セルロイドが誕生して以来、写真フィルム国産化は新たな需要の開拓であり社会的責務でもありました。その15年の道程の帰結が富士フイルムの設立でした。コダックとの提携や共同経営の機会もありましたが実らず、独自開発の道程でした。
34年1月の会社設立のあと、6月には当初の予定通り写真感光材料開発のパイオニア東洋乾板と合併、その販売網を活用します。映画産業の隆盛もあり、また36(昭和11)年発売のスチールカメラ用の新製品ロールフィルムも普及するなど、活況を呈します。
第二次世界大戦に入るとカメラ趣味は敵外視され、映画も統制されてしまい、不遇の時代を迎えます。しかし、軍需製品生産のため増産要請が高まり、やがては軍需会社として指定され、工場は多忙を極めます。
敗戦を迎えると、一旦全従業員を解雇しますが、事業再開への目処を探ったあと10月に4割の従業員を再採用し、1400人余での再出発となりました。やがて街に写真館が再建されていき、写真感光材料の生産も徐々に回復に向かう頃、48(昭和23)年に富士フイルム初のカメラ、ロールフィルム6×6判のスプリング式、FUJICA-6 IAが発売へと漕ぎ着けました。計画以来10年間を要した大仕事でした。
フィルムメーカーながら、早くに国産カメラ生産への参入を果たした富士ですが、世界初のデジタルカメラをつくったのも富士でした。88(昭和63)年にフォトキナでFUJIX DS-1Pが発表されます。現在のように記憶媒体にメモリーカードを使用する世界初のデジタルカメラです。デジタル化へ向けての取り組みは早く、1970年代にはCCDの自社開発に着手しています。やがてイメージングがデジタル化していくことを予見し、確信していたのです。
富士フイルムの飽くなき挑戦
1948年に富士フイルムの宿願、初のカメラFUJICA-6 IAが発売となったことは前章で触れた通りです。その後52年に発売されたFUJICA-6 IICで広く知られるところとなり、55年発売の最終形SUPER FUJICA-6は、連動距離計も備え、現在もプロアマ問わず中古市場で人気を博しています。
1970年発売
コンパクト化の思想が生きた待望の初の一眼レフ。ファインダーには、瞬間測光のSPD(シリコンフォトダイオード)素子を世界初搭載しており、暗い場所でも指針の反応が早く、適正露光を決めやすくなっています。STシリーズでは、さらにファインダー機能の世界初が続きます。72年のST801ではメーター指針が赤色LED素子に代わり、瞬時に適正露光が決定できます。74年のST901では、AE時のシャッター速度を世界で初めてデジタル表示にしました。
1986年発売
86年に発売されたFUJIFILM GX680 Professionalは、プロのスタジオ撮影に向けた6×8判一眼レフカメラです。モータードライブを内蔵、中判カメラで世界初のティルト・シフトを備え大判並みのアオリ操作を可能としています。レボルビング機構まで備わっています。
2016年発売
デジタル時代にも、富士フイルムはカメラ好きを唸らせる機種を投入してきます。レンズ交換式ミラーレス一眼FUJIFILM X-Pro2は、フラッグシップX-Proの2代目。新開発2430万画素ローパスフィルターレス、X-Trans CMOS IIIを搭載し、シャッター最高速度1/8000、最速フラッシュ同調速度1/250の高性能高機能機。富士フイルムのポジフィルム銘柄PROVIAやVelviaなどの画質を再現するエフェクト、フィルムシミュレーションも多彩で美しく、古いカメラファンにも新しいカメラファンにも楽しい機能となっています。
富士フイルムの美質とは
フィルムメーカーである富士のカメラは、やはり撮影した色の美しさが際立ちます。
設立した1934年の4年後、富士フイルムは、光学ガラスからレンズやカメラに至る一貫製造を計画、開発に2年を費やし、40年に12種の光学ガラスの溶解に成功します。これが、その後に多くの銘レンズを生み出してきたFUJINONの始まりです。レンズに対するこの姿勢もフィルムメーカーとしての画に対する矜持と一貫しているといえます。
前章でふれたフィルムシミュレーションのエフェクト機能も、まさにフィルムメーカーとしての自負と蓄積があってのこと。レボルビングにティルト・シフトまで備えたGX680 Professionalはレンズ開発に相当な負担をかけたはずですが、そこまでしても80年代に入ってなお中判カメラに力を入れたのは、フィルムメーカーとしてブローニー版の美しさにこだわりがあってのことでしょう。
一方で富士フイルムは、intaxシステムで99年から展開しているインスタントカメラ・チェキや、86年から発売しているレンズ付きフィルムの写ルンですといった製品も打ち出しています。写真をとくに若い人や女性の身近でポップなものとして普及させ、社会現象とまでした手腕は、富士フイルムの設立当初からある営業展開の豊富さや、樹木希林さんを起用しお茶の間の人気となったTVCMシリーズを想起させます。
フィルムメーカーとしての矜持と、何ものにもとらわれない挑戦の精神は富士フイルムの美質でしょう。デジタル化を見据え開発が始められた当時すでに、半導体メモリーカード記録は低ノイズで色再現もよい高画質であることが知られていましたが、その高価格が難点だったのです。しかし、富士フイルムは、やがてデジタルの時代が到来し需要が増すことで、技術革新によって大幅に値下がりするであろうことを予測したうえで確信し、常識を覆す道をひた走りました。
この富士フイルムマインドに期待し、今後もカメラを面白く、革新してくれることを願っています。